現役精神疾患者が心理学を学んでみた

6年前に不安障害を発症。己を知り、他人を知るべく心理学を発信するブログ。

筆者がやらかした「人間関係リセット症候群」と承認欲求について

僕は高校3年生のとき、LINEやリアルで付き合いの浅い友達を片っ端からブロックし、LINE友達が一ケタになったことがあります。友達の中にいとこや兄弟も含まれているので、実質友達と呼べるのは5人くらいでしたか・・・

 

このように急に色んな人との関係を断ち、独りぼっちに近づいていこうとする行動を「人間関係リセット症候群」と呼びます。※正式な医学用語ではありません。

 

ここでだらだらと人間関係リセット症候群を説明したところで、「他のまとめた記事でいいじゃん!」となるので、「筆者はなぜリセットしてしまったか」「それとどう向き合えばいいか」を焦点に書いていこうと思います。「僕と似てる!」と思った方に届けば幸いです。そうでない方も「こんな人間おるんだ」と読んでみてください!

 

承認欲求が強い

僕は基本的に相手側から連絡が来ないと、「自分に興味がないんだな」と思ってしまうタイプです。ネガティブなんですね^^;もっというと「話しかけられたい」欲求が強いです。話しかけられることで自分に興味を持ってくれていると実感したい・・・完全に承認欲求こじらせてますね(笑)

 

結果、話しかけてくれない人をブロックしてしまった。もう当時の自分は勝手すぎて何も言えないです。

 

では僕はそんな自分とどう向き合うか。

 

1.武器を持て

承認欲求ばかり強くても、承認されることが無ければ意味ないですよね。先ずは特技でも自分磨きでもしてみませんか。人に認められるくらいのオリジナルの武器をあーだこーだ嘆く前に探してみましょう。

 

僕はブログを書いてる以上、「文章力あるよね!」なんて言われてみたいものです(笑)

 

2.認めてほしいなら認めろ

承認欲求は一方通行のことが多いです。誰かに認めてはほしいけど、誰かを認めることはできないって人、います。(はい)

 

そんなのただのわがままで、承認欲求とすら呼んでいいのか怪しいですね(笑)相手の魅力に気付き、他人を認められる人間は愛されますよ。

 

 

人間関係リセットまではいかなくとも、承認欲求というのはない人の方が少ないです。しかしこじらせてしまうと非常に後悔を生みかねないものです。僕の経験がストッパーになることを切に願います。

 

それでは。

「明日」は後ろからは来ない

少し投稿日が空きましたが、今日も心理について書こうと思います。

 

突然ですが、りんぺーは土日にバイトをしているので明日はバイトがあります。始めてから2ヶ月ほどたちますが、「明日はめんどくさい」と思ったことはありません。

 

それはバイトが超ラクだからではなく、タイトル通り「明日」は後ろからは来ないと思っているからです。

 

人は明日何か避けて通れないものがあるときに明日から逃げたくなります

明日はテスト、明日は仕事、明日はバイトとか。

 

しかし、明日というのは未来の話であって、後ろから追いかけてくることはないのです。

 

つまり明日から逃げているのではなく、明日を追いかけていないんです。

 

明日を追いかけるというのはそのまま日々のモチベーションアップに使います。鬼ごっこで例えるとあなたは鬼です。

 

逃げ回る足の速い明日にうんざりしてるから、捕まえる気すら起きないのです。

でも明日くんは途中で足を痛めたり、もしかすると足だけ速くてスタミナが無かったりするかもしれません。

 

明日を追いかけて捕まえたときが、「今日も一日頑張った」と思える瞬間じゃないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

人間には裏も仮もない

りんぺーです。

 

僕は完全に学生という称号を失い、職業欄には「フリーター」と書くようになってから3年目に突入しました。高校一年生で中退したので、高校二年の年からですね。

 

そこから何もなければ毎日自宅にいるわけですが、これはかなり精神的にきます。特に朝、家の外で聞こえる学生の楽しそうな声や夕方にでかけると出くわす制服の人達。高校を中退してから湧き上がる「俺の青春はパニック障害に奪われたんだな。」という感情。こうするしかないんだけど、悔しくて悔しくてよく部屋で泣いてました。。。

 

そこから数ヶ月間「こんなはずではなかった」と思うようになります。更に「こんなはずではない」=「こんなの自分じゃない」とも感じるように。

いわば毎日家に居て、飯くって、昼寝して・・これは「仮の自分」であり、「俺は神からパニック障害という重役を課せられていて、これを乗り越えて将来偉くなる選ばれた人間」とどうみてもアウトな悟りまで開いていました(笑)

 

中退のショックで半分夢見心地、自暴自棄になっていたんですね。

 

そして、この思考から抜け出したヒントは人間の裏表にありました。

 

人間は表面上普通にしゃべっていても、裏で相手の悪口や罵倒をしているときがあります。現代ではネットの普及で「愚痴用裏アカウント」や「○○学校の裏サイト」を探すと山のように出てきます。

 

ここで疑問があります。これは、「裏の自分」として書き込んでいるのでしょうか?

表面上のやさしさで裏は悪口ならば、悪口は本音だからそっちが表の自分じゃないかと。

 

となると、先ほどの自分の仮の姿は「自分の心の奥底で願っていた生活」だったんです。学校に行かなくていい、寝ても誰も注意しない、趣味に没頭できる。まさに永遠の夏休みみたいな状況に甘えていただけ。

 

それに気づいた今は、目標に向かってやるべきことや、自分に合った治療法の研究をしています。

 

この記事を見ているあなたも、りんぺーみたいに自分を見失わないように、気を付けましょう。

 

それでは。

 

 

ネットにはパニック障害患者がいっぱいいるのに、リアルでは周りにいない理由

 

どうもりんぺーです。

 

ネットを見ててふと思うのですが、どの国にも負けないほどドロドロした人間関係があるわが国日本では、外国に比べてまあパニック障害精神疾患のおおいこと。。。

 

それは多分日本特有の陰湿さとか細かさが災いしているのでしょうが、今日のタイトルには関係ないのでおいておきます(笑)

 

でもりんぺーは高認試験の特別措置以外ではパニック障害患者と実際に会ったことがありません。

 

なぜネットにはこんなにいるのにリアルではいないのか?

考えられる理由をあげていきたいとおもいます。

 

 

  パニック障害は人に言いにくい

・ パニック障害は脳の誤作動であると最近わかってきましたが、それでもまだ「精神病」であると認識している人は少なくありません。

「自分が精神病であると思われたくない」という心理が働いています。

 

・友人や周りに変に気を使ってほしくないという理由で隠すこともあります。りんぺーは中学のとき社会で戦争系のビデオを見せられて具合がわるくなって以降、授業がビデオのときは周りが、「今日はビデオ大丈夫なの?」と気遣ってくれたんですが、逆にプレッシャーになってしまいました泣

 

予期不安からインドアになりがち

ずっと家にいたらそりゃパニック障害患者と会うわけないですよね(笑)

りんぺーは2年間完全にひきこもってた時期がありましたが、なぜか自分の部屋に飽きてきて、出れるようになりました(笑)それまでは目の前のコンビニですら怖くていけませんでした。

 

やはり、携帯かpcさえあれば家の中でも交流できて、同じ症状で理解のある人と関われるネットは必然的に人気になりますよね。

ただ地域でのパニック障害患者の交流はもっとあってもいいかなと思います。近くに同じ症状で戦っている人がいる。その事実だけでも安心の要素として十分かと思います。

 

札幌でどっかやってないかな・・・

 

それでは。

松本人志さんから学ぶメンタル「前だけ見ててもわき見」

りんぺーです!


今日は昔ツイッターダウンタウン松本人志さんが何気なーくつぶやいたツイートなんですが、とても的を得ている内容だったので、りんぺーの視点から紹介していきます。


そのツイートなのですが


「わき見運転。。。前しか見てないのもわき見運転。人生しかり。」というもの。


これは、よく言われる「辛いときでも前だけ見て進め」という論を否定したものなのでしょうか。りんぺーはそう解釈しています。

それとも、わき見運転による事故のニュースがあったとき、人生とわき見運転をかけたのでしょうか。


いずれにせよ、この「前だけ見ててもわき見」という部分、確かにそうですよね。


哲学的な言い方をすると、自分は前を向いているが、それが本当の「前」とは限らない。

といった感じでしょうか(恥


ひたむきな「姿勢」に関しては前向きにいった方がもちろんいいのですが、「思考」は常に色々選択肢を持っておく。


例えば、今りんぺーは大学受験に向けて勉強していますが、英語のやり方を変えてみました。単語→日本語訳としていたものを、単語→イメージにしてみると覚えやすくなったのです。

「谷」という単語は英語でvalleyですがvalleyを深い深い底の見えない谷のようなイメージとして覚えます。


この方法はある日英語をやってるときのひらめきから生まれました。

「人間は母国語をイメージや経験で覚えてるのだから、アメリカ人に生まれ変わったと思って学ぼう」というもの。


今まで和訳していた分効率が上がって記憶が定着するようになりました。一度立ち止まって正攻法や常識にとらわれず、様々なルートを持っていくと人生つまづきにくいかなということでした。


それでは。



パニック発作はいきなりW杯決勝PK最終キッカーやらされるようなもん

どうも、りんぺーです。

 

パニック障害以外のことも書きたいのですが、ここ最近家から出ないので、安定のパニック障害

 

さて、パニック発作というのは軽~重い発作まであるのをご存知でしょうか。

軽いのは本当にちょっとの目まいや手の震えとかですかね。ただ、いてもたっても居られないほどではないので我慢して何かすることはできます。

現にりんぺーは土日だけバイトをしているのですが、毎回軽い発作はでます。4年間も闘うとそれはほぼ日常と化しているので、気にならない程度までになっています。

 

しかし、まだ怖いところはあります。りんぺーの場合、学校と旅行です。やっぱり4年間のうち3年は学生なので、教室での発作にビビってるんでしょうね。

旅行は正直行けなくはないかな?と思いますが、まだ若干不安がある感じです。

「怖い」「不安」というのは重い発作のことです。

 

よく過呼吸で動けなくなって周りの人がバタバタして救急車呼ぶとかありますよね?

救急車は呼ばれたことはないですが、それくらいの発作が重い発作と言えるでしょう。

パニック発作の時は救急車は呼んで欲しくないのが本音です。周りの焦りやサイレンでなおさら発作がひどくなるからです。)

 

その時の恐怖と緊張と言ったらまさに今日のタイトルW杯決勝、俺が決めれば世界一の場面でPKを蹴らされるような感じです。(サッカー好き)他にも例えはいっぱいあります。暗殺される恐怖と戦う大統領のようとか、海で一人でおぼれてる感じとか・・・

 

心臓が出そうなほどバクバクいって、手と足はつりそうなほど硬直し、もうどこを見ていいのかわからないほど定まらない視点。呼吸してもしても満足しない。それがパニックと名付けられるゆえんですね。

 

大げさかと思うじゃないですか。実は大げさなんです。

そもそもパニック障害は心の病ではなく脳内伝達物質のノルアドレナリン(不安や恐怖感に関係する物質)とセロトニン(興奮を抑える物質)のバランスが乱れることで起こるといわれており、普段ポジティブで明るい人でも全然なりえます。

 

このバランスが乱れるとそれこそ今W杯決勝のキッカーを務めている・・!と脳が錯覚し、それと同じような緊張感が生まれます。一言でいうと「脳の勘違い」ですね。

 

だから当事者は発作が来た時、「PKか・・・」とふざけておくとパニック障害と明るく前向きに過ごせるかもしれません。

 

それでは、公園でPKの練習でもしてきます。バイ

 

アドラー心理学から考えるパニック障害と「自分の中の他人」

りんぺーです。

 

僕が尊敬する人物の中に「アルフレッド・アドラー」という心理学者がいます。

たびたびNHKでも取り上げられているアドラー心理学(個人心理学)という心理療法や理論を見て、パニック障害の人にとても当てはまりやすい心理があったので紹介します。

 

まず、例をあげるために、僕が中学時代一種の人間不信に陥ったときの話をします。

 

実は中学2年のときにパニック障害を患ってからもう一つ、同時に発症した病がありました。それは「チック症」です。

 

簡単にいうと個人がもっている「クセ」が我慢できない、制御できない病であり、ビートたけしさんの首の動きとかもそれに該当します。

 

僕は今でも緊張や発作気味になるとまばたきによるチックが増えます。バチバチやりすぎて、中学の校長から目の病気を疑われたこともあります。

 

ある日、部活で仲の良かった友達数人にこのまばたきのモノマネをされました。

「見て、りんぺーの真似!」といった感じですかね。

 

確かに目をずっとパチパチしてると目立つし、わかりやすいチック症だったので、悪ふざけでやってみたのかもしれません。しかし、当時は衝撃でした。

 

そこからある疑念がわき始めます。「皆普通に僕と話してるけど、内心バカにしているのではないか?おかしい人と思っているのではないか?」と。すると、授業中や外で僕と目が合ったり、僕のことを見ている人は皆「そう思っている」と疑い始めます。

 

これこそアドラーの言う「自分の中の他人」です。僕は頭の中で勝手に他人のイメージを作るようになってしまっていたということです。

 

パニック障害患者にはこの思想が強い傾向にあります。電車の座席で隣り合ってる人、美容室の美容師さん、学校のクラスメイトなどに変な人間だと思われたくないがために必死に平常心を保とうとします。

 

ただそれは自分の中の他人の事であり、結局他人がどう思っているかなんてわからないです。バカにしてるかもしれないし、チック症やパニック障害のことをよく知っていて理解してるかもしれないし、もしかしたら相手も同じ症状をもっていて、今まさにあなたの目線を気にしているかもしれません。

 

たった一度すれ違った、目が合った、話した、で他人のイメージを作り上げてしまうのは無意味、ということでしょう。

 

それでは。