Peko's

不安障害と闘う日々やその他もろもろ。

ネットにはパニック障害患者がいっぱいいるのに、リアルでは周りにいない理由

 

どうもりんぺーです。

 

ネットを見ててふと思うのですが、どの国にも負けないほどドロドロした人間関係があるわが国日本では、外国に比べてまあパニック障害精神疾患のおおいこと。。。

 

それは多分日本特有の陰湿さとか細かさが災いしているのでしょうが、今日のタイトルには関係ないのでおいておきます(笑)

 

でもりんぺーは高認試験の特別措置以外ではパニック障害患者と実際に会ったことがありません。

 

なぜネットにはこんなにいるのにリアルではいないのか?

考えられる理由をあげていきたいとおもいます。

 

 

  パニック障害は人に言いにくい

・ パニック障害は脳の誤作動であると最近わかってきましたが、それでもまだ「精神病」であると認識している人は少なくありません。

「自分が精神病であると思われたくない」という心理が働いています。

 

・友人や周りに変に気を使ってほしくないという理由で隠すこともあります。りんぺーは中学のとき社会で戦争系のビデオを見せられて具合がわるくなって以降、授業がビデオのときは周りが、「今日はビデオ大丈夫なの?」と気遣ってくれたんですが、逆にプレッシャーになってしまいました泣

 

予期不安からインドアになりがち

ずっと家にいたらそりゃパニック障害患者と会うわけないですよね(笑)

りんぺーは2年間完全にひきこもってた時期がありましたが、なぜか自分の部屋に飽きてきて、出れるようになりました(笑)それまでは目の前のコンビニですら怖くていけませんでした。

 

やはり、携帯かpcさえあれば家の中でも交流できて、同じ症状で理解のある人と関われるネットは必然的に人気になりますよね。

ただ地域でのパニック障害患者の交流はもっとあってもいいかなと思います。近くに同じ症状で戦っている人がいる。その事実だけでも安心の要素として十分かと思います。

 

札幌でどっかやってないかな・・・

 

それでは。

松本人志さんから学ぶメンタル「前だけ見ててもわき見」

りんぺーです!


今日は昔ツイッターダウンタウン松本人志さんが何気なーくつぶやいたツイートなんですが、とても的を得ている内容だったので、りんぺーの視点から紹介していきます。


そのツイートなのですが


「わき見運転。。。前しか見てないのもわき見運転。人生しかり。」というもの。


これは、よく言われる「辛いときでも前だけ見て進め」という論を否定したものなのでしょうか。りんぺーはそう解釈しています。

それとも、わき見運転による事故のニュースがあったとき、人生とわき見運転をかけたのでしょうか。


いずれにせよ、この「前だけ見ててもわき見」という部分、確かにそうですよね。


哲学的な言い方をすると、自分は前を向いているが、それが本当の「前」とは限らない。

といった感じでしょうか(恥


ひたむきな「姿勢」に関しては前向きにいった方がもちろんいいのですが、「思考」は常に色々選択肢を持っておく。


例えば、今りんぺーは大学受験に向けて勉強していますが、英語のやり方を変えてみました。単語→日本語訳としていたものを、単語→イメージにしてみると覚えやすくなったのです。

「谷」という単語は英語でvalleyですがvalleyを深い深い底の見えない谷のようなイメージとして覚えます。


この方法はある日英語をやってるときのひらめきから生まれました。

「人間は母国語をイメージや経験で覚えてるのだから、アメリカ人に生まれ変わったと思って学ぼう」というもの。


今まで和訳していた分効率が上がって記憶が定着するようになりました。一度立ち止まって正攻法や常識にとらわれず、様々なルートを持っていくと人生つまづきにくいかなということでした。


それでは。



パニック発作はいきなりW杯決勝PK最終キッカーやらされるようなもん

どうも、りんぺーです。

 

パニック障害以外のことも書きたいのですが、ここ最近家から出ないので、安定のパニック障害

 

さて、パニック発作というのは軽~重い発作まであるのをご存知でしょうか。

軽いのは本当にちょっとの目まいや手の震えとかですかね。ただ、いてもたっても居られないほどではないので我慢して何かすることはできます。

現にりんぺーは土日だけバイトをしているのですが、毎回軽い発作はでます。4年間も闘うとそれはほぼ日常と化しているので、気にならない程度までになっています。

 

しかし、まだ怖いところはあります。りんぺーの場合、学校と旅行です。やっぱり4年間のうち3年は学生なので、教室での発作にビビってるんでしょうね。

旅行は正直行けなくはないかな?と思いますが、まだ若干不安がある感じです。

「怖い」「不安」というのは重い発作のことです。

 

よく過呼吸で動けなくなって周りの人がバタバタして救急車呼ぶとかありますよね?

救急車は呼ばれたことはないですが、それくらいの発作が重い発作と言えるでしょう。

パニック発作の時は救急車は呼んで欲しくないのが本音です。周りの焦りやサイレンでなおさら発作がひどくなるからです。)

 

その時の恐怖と緊張と言ったらまさに今日のタイトルW杯決勝、俺が決めれば世界一の場面でPKを蹴らされるような感じです。(サッカー好き)他にも例えはいっぱいあります。暗殺される恐怖と戦う大統領のようとか、海で一人でおぼれてる感じとか・・・

 

心臓が出そうなほどバクバクいって、手と足はつりそうなほど硬直し、もうどこを見ていいのかわからないほど定まらない視点。呼吸してもしても満足しない。それがパニックと名付けられるゆえんですね。

 

大げさかと思うじゃないですか。実は大げさなんです。

そもそもパニック障害は心の病ではなく脳内伝達物質のノルアドレナリン(不安や恐怖感に関係する物質)とセロトニン(興奮を抑える物質)のバランスが乱れることで起こるといわれており、普段ポジティブで明るい人でも全然なりえます。

 

このバランスが乱れるとそれこそ今W杯決勝のキッカーを務めている・・!と脳が錯覚し、それと同じような緊張感が生まれます。一言でいうと「脳の勘違い」ですね。

 

だから当事者は発作が来た時、「PKか・・・」とふざけておくとパニック障害と明るく前向きに過ごせるかもしれません。

 

それでは、公園でPKの練習でもしてきます。バイ

 

パニック障害患者が喉から手が出るほど出会いたい人とは

りんぺーです。

 

自分のパニック障害の症状について、ほぼ全て知ってて、頼れる人はどのくらいいますか?親とか彼氏彼女、親友とかね。

 

りんぺーは、ネットでパニック障害の方と相互フォローしたりDMで辛さを共有したりはするけど、リアルでは会ったことがないので、全てを知っている人というのは0人ということになる。

 

もし自分という人間を全て理解し、心から頼れる人が読者のあなたにいるのならば、正直にいう。めっちゃ羨ましい。。。

 

俺はそういう人は欲しいけど、何か善行を積んだわけでもなく、何か秀でた才能、魅力があるわけでもない。ましてや中高まともに行ってないとなるとそもそもの「機会」すらなかった。

友達はできたものの、何年もメールのやり取りをしたりするほどの仲はない。

あくまで狭く浅くの交友関係なので、誰も自分のことを深く知ろうとする人はいない。

 

しかもたちの悪いことに、自分を知って欲しいとか、頼れる人が欲しいとかこれはただの自分のわがままであり、自分に興味のない人からすると、「自己中」「病んでる自分に酔っているだけ」と烙印をおされかねない。

 

勝手に予想しますが、パニック障害患者のうち、こう思っている人90%はいます。

家から出れない、社会に出れないとなると、昔からの親友とか、既婚者であり、夫や妻でもいない限り、まずそういう人に出会えません。

 

人間「一人」になりたいときはあるけど「独り」では駄目なんです。

こちらからアプローチをかけれない以上、そんな全てを聞いて理解してくれる神のような存在は、ただただ待つしかないのです。

 

自分勝手なのは十分承知の上なんです。でもパニック障害は発作がでるとその場から逃げ出したくなります。それが遊んでいるときだろうが、映画を見てるときだろうが、食事会をしてるときだろうが・・・それによって「迷惑がかかってしまったら」と思うとなかなか自分から話しかけられず、結局孤独のまま病気と闘うことになり、改善どころか悪化してしまいます。

 

りんぺーはまだそういう人に出会えてませんが、逆に誰かの「そういう人」にまずなれるように、ブログやツイッターで活動を続けます。

それでいつかお互いそういう信頼関係になれたら最高ですね。

 

それでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アドラー心理学から考えるパニック障害と「自分の中の他人」

りんぺーです。

 

僕が尊敬する人物の中に「アルフレッド・アドラー」という心理学者がいます。

たびたびNHKでも取り上げられているアドラー心理学(個人心理学)という心理療法や理論を見て、パニック障害の人にとても当てはまりやすい心理があったので紹介します。

 

まず、例をあげるために、僕が中学時代一種の人間不信に陥ったときの話をします。

 

実は中学2年のときにパニック障害を患ってからもう一つ、同時に発症した病がありました。それは「チック症」です。

 

簡単にいうと個人がもっている「クセ」が我慢できない、制御できない病であり、ビートたけしさんの首の動きとかもそれに該当します。

 

僕は今でも緊張や発作気味になるとまばたきによるチックが増えます。バチバチやりすぎて、中学の校長から目の病気を疑われたこともあります。

 

ある日、部活で仲の良かった友達数人にこのまばたきのモノマネをされました。

「見て、りんぺーの真似!」といった感じですかね。

 

確かに目をずっとパチパチしてると目立つし、わかりやすいチック症だったので、悪ふざけでやってみたのかもしれません。しかし、当時は衝撃でした。

 

そこからある疑念がわき始めます。「皆普通に僕と話してるけど、内心バカにしているのではないか?おかしい人と思っているのではないか?」と。すると、授業中や外で僕と目が合ったり、僕のことを見ている人は皆「そう思っている」と疑い始めます。

 

これこそアドラーの言う「自分の中の他人」です。僕は頭の中で勝手に他人のイメージを作るようになってしまっていたということです。

 

パニック障害患者にはこの思想が強い傾向にあります。電車の座席で隣り合ってる人、美容室の美容師さん、学校のクラスメイトなどに変な人間だと思われたくないがために必死に平常心を保とうとします。

 

ただそれは自分の中の他人の事であり、結局他人がどう思っているかなんてわからないです。バカにしてるかもしれないし、チック症やパニック障害のことをよく知っていて理解してるかもしれないし、もしかしたら相手も同じ症状をもっていて、今まさにあなたの目線を気にしているかもしれません。

 

たった一度すれ違った、目が合った、話した、で他人のイメージを作り上げてしまうのは無意味、ということでしょう。

 

それでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

パニック障害により2留年が確定してから「高認試験」で逆転サヨナラホームラン打った話

昨日、一昨日とブログを更新できず、申し訳ありません。

 

今日は現在高校生もしくは、高卒の資格をとりたいパニック障害の皆さんを中心に僕が高校で2回の留年を宣告された後、学校を中退し、独学で高卒認定をとった話を書きたいと思います。「こういう雰囲気なんだ」「出題範囲は?」などこれから高認試験を考えている方の不安を少しでも取り払えたらいいなと思います。

 1.高認試験(旧大検)って何?

高等学校卒業程度認定試験(本名)とは、事情があり高校を卒業できなかった、単位が足りない等で困っている人の為に文部科学省が年に2回全国で行っている試験のことです。(おおまか)

最低8科目の試験があり、全て合格すると、大学や専門学校への挑戦権が得られます。

問題は全て高校一年生の範囲まで、マークシート形式になっていて、レベルは易しいかなと思います。

詳しくは文部科学省にあるページを載せておきますので、見てみてください

http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shiken/

 

 2.メリット・デメリット

これはわかりやすく箇条書きで。

 

メリット

・勉強量的には高2、高3のところがないので多くない。

・実は合格ラインが低い。(一教科半分点数とってればほぼ合格)

・今年はこの教科だけ、来年は残った教科など分けて8教科とってもいい。

パニック障害などに特別措置がある←後ほど詳しく説明

デメリット

・会場が都道府県ごとに決まっており、住んでる地域によっては遠いかもしれない。

・受かったあと大学に行くのであれば、高2高3の勉強もしなければならない

 

自分が感じたメリット・デメリットはこんな感じです。

そもそもパニック障害なんて試験とか受けるの辛いんだし、無理じゃん!」と思ったあなた。文部科学省はそんなあなたの為に特別な措置を設けているんです。

 

 3.パニック障害が受けられる「特別措置」

高認試験を受けに来る人は皆が皆健康というわけではありません。

耳が聞こえない、目が見えないなど、普通の試験を受けられない人もいます。その人達の為に点字のある用紙や試験時間の延長といった「特別措置」があります。

幸いにもパニック障害や不安障害にも措置があり、「別室で少人数2~10人」「トイレに近接する試験室」の2つが対象になります。

でもちょっとまってください。

そうじゃないんだよ

パニック障害っていうのはそんな条件でどうこうなるもんじゃねえんだ・・・・

じゃあなんで僕が受けれたのか、それはある裏技といいますか、それを使ったんです。

名付けて、「20分作戦」です(ださい)

 

試験時間は一教科50分あります。当時の僕じゃさすがに耐えきれそうにないので、まず15分、半分点数とればほぼ合格なのですから、簡単なとこだけ電光石火のごとくババーッとやります。例をあげると、数学にいたっては最初の設問は足し算とか掛け算です。直感でわからなさそうなところはすっ飛ばします。

15分たったら、会場には「保健室」があるので監督に言って30分休みます。

そして最後の5分でわからないとこをやってみて、どうしても無理なのはマークシートなので4択の答えの中から適当に選びました/(^o^)\

 

多少荒技ではありましたが、計算に時間のかかる数学以外は割と少ない時間でできました。

結果は2日で8教科受けて全部合格でした!2留年から一転、とりあえず大学への挑戦権を得ることができました。

 

まとめ

 出題範囲の狭さや簡単さからメリットの方が多く感じられる高認試験。しかし、青春の高校生活は残念ながら捨ててしまうことになるかもしれません。

 

現に僕の高校時代にできて、今も連絡をとりあってる友人は1、2人くらいでしょう。

ただ、パニック障害は戦おうとすればするほど沼です。いっそ行けないのならすっぱり辞めて、療養してから大学、という道も視野に入れてみてはどうでしょうか。

 

それでは!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分がコントロールできないもの

今までパニック障害について何個か記事を書きましたが、これはパニック障害であろうとなかろうとこれから生きていく上で自分を保つ為に必要なことと自負しています。

パニック障害は発作が出て、数十分から1時間ほどで山を越えます。

しかし人間欲深いもので、発作が出たらものの2分や3分で頭の中で必死に抑えようとします。そうやって欲を出すとどうなるか。

そう、長時間の拘束に耐えられなくなります。「50分の授業を2〜3分で終わってくれ!」と自分ではどうしようもないことをコントロールしようとするのです。

発作が出たら、「まあ自分じゃコントロールできないし」これで劇的に改善する可能性があります。

僕は実際に今、一般人も受けれる大学の講義で実践しています。少し練習が要りますが、いたって単純な思考なので、誰でもできます。

でもこれはパニック障害に限ったことではないです。

僕は恋愛を語れるほどの器ではないですが、失恋したときもそうです。

優しくして、なんか奢ったりして、仲良くなったけど告ったら振られた。
結局自分がしようとしてたのは、「相手の恋愛心理のコントロール」だったと気付きます。

しかし、相手からは「使える男」ぐらいにしか思われてないかもしれないじゃないですか。

嘘か真か、コントロールできるのかできないのか。これを見抜ければだいぶ世渡りは楽になりそうです。